皆様、こんにちは。
教室ブログのページにお越しいただきまして、
どうも有難うございます。
今日は、導入教材についての考察を書いてみます。
大学を卒業し、はじめて4歳の生徒さんを教えることになった時、
「習う」から「教える」立場として、約20年ぶり(?)に楽器屋さんの
子供のためのピアノ教材売り場に参りました。
…その種類の多いこと多いこと…。(いつの間に、見たこともない新しい教材が…)
壁一面に所狭しと並んでいて、どれを選べばよいのか、
しばし、立ちすくんでしまった記憶を、今でも思い出します。
(おそらく)ほとんどの導入教材を数か月もたたないうちに、購入してしまい…
(全シリーズを買い揃えたのは、自分が本当によいなと思ったものだけでしたが…)
まずは「読譜」の導入については、いくつかのパターンがあるのだなということを知り、
その内、ふと〈フランスのソルフェージュの早期教育は、かなり進んでいる〉
とよく耳にしていたことが思い浮かび、ネットにてフランスから導入期の楽譜、
ソルフェージュ教材を取り寄せ、母校(桐朋)の図書館も(有難いことに、
廃盤になってしまっているものから、ネットで入手困難な珍しいもの、
海外の貴重な資料までかなり多くの蔵書がございます)最大限活用し、
“導入教材収集家”の様になっていた時期がございました。
…ただそうして、私が思いましたのは、
(どの教材が一番!と言い切ることは難しいのではないか…)ということでした。
何かの本で、「人生において、大事なのは、“いかに”生きたかである」という文を読んだことがございます。
これは、例えば、導入教材に関しましても、何処か通ずるものがあるかもしれないと感じておりまして…
重きを置く必要があるのは、どの教材を使うとしても,それぞれ個性をもったお子様に、
“どの様に生かしていくか”ということで、講師側の責任として、そちらのアプローチにつきましては、
常に考え、研究していきたいという気持ちでおります。
そして、幼いお子様の指導をさせていただくにあたり、“ドレミをスラスラ読める様になること”が、
目下の課題のひとつである段階のレッスンにおいても、後々、バッハやモーツァルト、
ロマン派などの西洋の芸術作品に少しずつ移行して参ります時には、
なるべく自然にそれらに向き合うことのできる、感性・感覚が育っている様に…
ということをいつも心の片隅に留めておきたいと思っております。
その橋を渡る時期には、たとえ一歩ずつゆっくりであっても、その橋を子供たちが好奇心をもって、
それぞれの歩幅で、自分から前に進んでいこうとする気持ちをもっていただく、
というイメージを思い描いております。
「読譜」や「基礎的なこと」の学びというものが、「音を読める様になる」
「楽譜に書かれたことを弾ける」ことにとどまらず、
無限の汲みつくせない芸術世界への夢に満ちた扉を開けるための鍵であり、
将来音楽の道に進む・進まないにかかわらず、どんな生徒さんにも、
平等に手にしていただきたいと心から願っております。
そして、“ハリー・ポッター”に「君に“何ができるかどうか”よりも、
君が“何をしたいか”が大事だよ。」という学長の言葉が出て参りますが、
その鍵を手にした後、その扉を開けるどうか、そこからどんな方向に歩んでいくかは、
その子供の意思を尊重するべきだと思います。